アングラ通用口
自作のガレージキットの紹介を主にした、思想問題、哲学問題、技術論等、「考えること」「作ることに」に関してのブログ
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関係が生み出す対決 誰が正しいのか 「世界と君の対決では、世界の側につけ」byフランツ=カフカ
例えば、会社の上司が糞食らえな人物で、対決を余儀なきものとされているとしよう。明らかに奴は卑劣で意地の悪い人間で、どうなろうとかまいやしない、と対決の構造を自身の内に頑に持ち続けている。しかし敵は仲間たちにはナイスガイ、家庭ではよき夫、親孝行者であったとしよう。何が対決を余儀なきものとしてもたらしているのか。それはおのおのが繰り込まれている関係からもたらされているのだと考えてみる。正社員とバイト、高卒と大卒、男性と女性、気の弱さと気の強さ、経営者と従業員。たしかに不義にたいして戦うのは正しい。奴はわれわれをこのように痛めつけたのだから。しかし、この「正義」は絶対的にわれわれが正しいのだと、自分自身で証明はできない。自分が正しいと自分が証明することはできない。戦う事はやむなく関係に繰り込まれたわれわれに避ける事は出来ない。しかし、世界の関係の網を客観的に見る視線が必要だ。なぜ、こんなに人々は憎しみあうのか。
君からの視点から離れて、その対決を強いる世界からの視線をも繰り込む事。
戦うことを欲せずともそれを強いる世界でいきるために。
君からの視点から離れて、その対決を強いる世界からの視線をも繰り込む事。
戦うことを欲せずともそれを強いる世界でいきるために。
イデオンとアイデンティティ エゴの行方
「伝説巨神イデオン」DVD全十巻、在庫なし、とんでもないプレミアが付いたwebショップ廻りのはて、実家近くの店に全部揃っていた。さすが田舎。
で、全部見終わったが、小学生じゃあるまいし、感想文なぞすぐに書けやしない。エヴァンゲリオンもそうだが(あの映画版ラストになんと「感想」すればいいのか)。
とりあえず、今の「映画」でここまでテーマを掘り下げたものなど皆無なのに、商売上がったりになるのか、あざとさみえみえの映画、映画関係者、劇場実務者の間で人物評最悪の為替なんとか(わざとです)を評価せんといかんのは情けないのですが、そんなもん無視しとく。
富野監督言う通り、「映画」とも認められない状況はまだ続いているが、(宮崎?思わせぶりなことを散りばめて、内容なしのただのエコ左翼ちゃうのん?[コナン、マンガ版ナウシカ、ラピュタ」は好きです])エゴ=自我をもつ人間の業を描いたものは、この「アニメ映画」2本が最高峰ということになるだろう。
イデ=アイデンティティ=エゴ(序)in my office
自分は敵と戦っているし(ちょっとかっこつけすぎですが)、周りもそれは知ってるだろう、とおもいきや、彼らは、自分の仲間とすべき者同士でいがみあい、結局みんな自分というバリアーで自分をまもることに必死であり、そんなことに気も付かずにいたことを、知ったとき、イデが発動して(笑)会社ごと潰れてしまえと思った。
しかし、自分の戦ってるという事さえ、人をまきこんでしまっていたことに気付いたとき、敵と想定した連中の攻撃と、そのことの板挟みで自分はなす術もなくなり、私の体調の異常が現れ、入院となった。
(続く)
スペースラニャウェイ!(白石冬美)
で、全部見終わったが、小学生じゃあるまいし、感想文なぞすぐに書けやしない。エヴァンゲリオンもそうだが(あの映画版ラストになんと「感想」すればいいのか)。
とりあえず、今の「映画」でここまでテーマを掘り下げたものなど皆無なのに、商売上がったりになるのか、あざとさみえみえの映画、映画関係者、劇場実務者の間で人物評最悪の為替なんとか(わざとです)を評価せんといかんのは情けないのですが、そんなもん無視しとく。
富野監督言う通り、「映画」とも認められない状況はまだ続いているが、(宮崎?思わせぶりなことを散りばめて、内容なしのただのエコ左翼ちゃうのん?[コナン、マンガ版ナウシカ、ラピュタ」は好きです])エゴ=自我をもつ人間の業を描いたものは、この「アニメ映画」2本が最高峰ということになるだろう。
イデ=アイデンティティ=エゴ(序)in my office
自分は敵と戦っているし(ちょっとかっこつけすぎですが)、周りもそれは知ってるだろう、とおもいきや、彼らは、自分の仲間とすべき者同士でいがみあい、結局みんな自分というバリアーで自分をまもることに必死であり、そんなことに気も付かずにいたことを、知ったとき、イデが発動して(笑)会社ごと潰れてしまえと思った。
しかし、自分の戦ってるという事さえ、人をまきこんでしまっていたことに気付いたとき、敵と想定した連中の攻撃と、そのことの板挟みで自分はなす術もなくなり、私の体調の異常が現れ、入院となった。
(続く)
スペースラニャウェイ!(白石冬美)
ガレージキット原型写真UP by原型師 小倉一樹
サンダ対ガイラ
原型師 小倉一樹によるガレージキット原型。完成状態ではありませんが。
フランケン対バラゴン ゴジラ対へドラもすぐupします。



原型師 小倉一樹によるガレージキット原型。完成状態ではありませんが。
フランケン対バラゴン ゴジラ対へドラもすぐupします。



テーマ : 模型・プラモデル・フィギュア製作日記 - ジャンル : 趣味・実用
大天才 板尾創路
ダウンタウンファミリーというのがあるとしたら、筆頭格は、板尾であることは間違いない。たぶん松本も敬意と嫉妬を感じているかもしれない。
彼の芸風はにこりともせず、ギャグを演じるという、米国ではなんとよばれるかは忘れてしまいましたが、その系譜を無意識に引き継いでいる天才である。役者としてもこれから面白い人物だろうと、今後も期待してます。
コント
パラグライダー仲間との飛行中、突然姿が消えた板尾。あちらこちら探しまくったあげく仲間(松本、浜田、今田)達は彼の家に向かう。「おーい、おるんかー」しばらくして、面倒くさそうに玄関から現れる板尾。
「おまえ、急にどっかに行ってもたから、探しまくって、心配してきたんや」板尾、頭を掻きながら「あぁ・・ちょっと帰りたくなったから・・・」「みんな心配してたんやで」「あぁ・・・ちょっと今、晩飯くってるから」しばらくして家のなかから呼ぶ声、「ちょっと友達きてるから」「おかん呼んでるから、もどるわ」家にもどる板尾。立ち尽くす仲間。
彼の芸風はにこりともせず、ギャグを演じるという、米国ではなんとよばれるかは忘れてしまいましたが、その系譜を無意識に引き継いでいる天才である。役者としてもこれから面白い人物だろうと、今後も期待してます。
コント
パラグライダー仲間との飛行中、突然姿が消えた板尾。あちらこちら探しまくったあげく仲間(松本、浜田、今田)達は彼の家に向かう。「おーい、おるんかー」しばらくして、面倒くさそうに玄関から現れる板尾。
「おまえ、急にどっかに行ってもたから、探しまくって、心配してきたんや」板尾、頭を掻きながら「あぁ・・ちょっと帰りたくなったから・・・」「みんな心配してたんやで」「あぁ・・・ちょっと今、晩飯くってるから」しばらくして家のなかから呼ぶ声、「ちょっと友達きてるから」「おかん呼んでるから、もどるわ」家にもどる板尾。立ち尽くす仲間。
アカルサハホロビノスガタデアロウカ(「右大臣 実朝」太宰治)
親会社が警備会社である、地図出版社がついに社員全員警備員の仕事もさせられることになった。ということは、実質的に本業のほうは見切りをつけられた、一つのピリオドを打たれた、ということだ。その研修がはじまってるらしいが、よくも深刻にもなれないもんだな、とふぬけた会社内に朝から全く不愉快な気分になって、何も言わずに仕事を放棄しようと思ったが、いい大人なのでやめた。まったく、仕事運には恵まれない。線維筋痛症なんていうものになって、最強の抗うつ薬「トリプタノール」のみながら働いてるというのも全くバカバカしい。バカバカしいから躁転に乗じて冗談いうしかない。全く滅びの姿だ。
大江慎也(元『THE ROOSTERS』)の小説『STORIED』 en-taxi20号掲載-この世界に「美談」なんかない。
大江慎也の復帰。そんなことはありえないと、誰もがおもっていただろうことが実現して、はや4年近く。
精神的病からのエキセントリックなステージあるいは、まったく歌わないステージ。いったい彼に何が起き、どう考えていたのか、当時のインタビューなど、答えらしい答えもなく、彼を待ち続け、のれんを守った花田やメンバー達という物語だけは飽きる程拝見させられた。はっきり言って、あきらかに精神(脳)の病に陥ってる仲間に対して、メンバーの態度がどうしても理解できなかった。なぜ、ステージを続けさせたのか、ギターを投げるくらいなら、その前に、なぜ気遣えなかったのか。2年程前に出た、音楽ライターとの共著である「自伝」は、全くそこにふれられていない凡作であった(構成、文章、どれをとってもまずい。むしろ、ロック画報「めんたいビート」特集号のほうが、そこに接近してたぐらいだ。
そして、今回の小説。人間は団結しない。自分が苦しんだからといって、他人の苦しみに同情したりしない。人間の関係とはどうやらそんなふうにできているらしい。メンバーを責める訳ではない。自分がその中にいたとしても、「理解」はできなかっただろうし、音楽活動で得なければ成らない生活だってある。こんな関係のもつれが人を狂気に、病に、孤独におとしいれるのかもしれない。そもそも関係が不可能であるのに、それを求める、求めさせられることが「人間」という生物の不幸かもしれない。
精神的病からのエキセントリックなステージあるいは、まったく歌わないステージ。いったい彼に何が起き、どう考えていたのか、当時のインタビューなど、答えらしい答えもなく、彼を待ち続け、のれんを守った花田やメンバー達という物語だけは飽きる程拝見させられた。はっきり言って、あきらかに精神(脳)の病に陥ってる仲間に対して、メンバーの態度がどうしても理解できなかった。なぜ、ステージを続けさせたのか、ギターを投げるくらいなら、その前に、なぜ気遣えなかったのか。2年程前に出た、音楽ライターとの共著である「自伝」は、全くそこにふれられていない凡作であった(構成、文章、どれをとってもまずい。むしろ、ロック画報「めんたいビート」特集号のほうが、そこに接近してたぐらいだ。
そして、今回の小説。人間は団結しない。自分が苦しんだからといって、他人の苦しみに同情したりしない。人間の関係とはどうやらそんなふうにできているらしい。メンバーを責める訳ではない。自分がその中にいたとしても、「理解」はできなかっただろうし、音楽活動で得なければ成らない生活だってある。こんな関係のもつれが人を狂気に、病に、孤独におとしいれるのかもしれない。そもそも関係が不可能であるのに、それを求める、求めさせられることが「人間」という生物の不幸かもしれない。
ビジネスと教養
会社の上司の朝礼曰く「学問でなくて、ビジネスですから」。
なにを言っているのか、この男は。仕事に対する知識の深化は、ビジネスとしての仕事、プロフェッショナルとして、当然のことだ。学者はもちろん、大工であれ、漁師であれ、音楽家であれ、散髪家
であれ、米屋であれ、ガラス屋であれ、ガス配管工であれ、その仕事にたいする深い教養は仕事から世界へと大きい視野を与えてくれる。
自分がこの仕事の分野に関して、研究も研鑽もせずして、かつて先輩におそわった、それも忘れかけた知識でなんとかしようとあげいたあげくが、この無知の開き直りだ。
昨年様々な所でおこったねつ造、改ざんという事件は、品質にこだわらずに、こだわる姿勢、教養もなしに、仕事をルーティンワークでしてきた連中が指示してきたあげく、おこった出来事だ。こんな人間が上にいると、仕事の手をぬくことが、ごくあたりまえになる。そんなことはたいした事でない、と。
尻に火がついてる。なのに、小手先の体面を気にした方法で、経費削減がんばってますとしか、考えられない(蛍光灯はずして、そのがんばってますの体面だけ見せてるばかばかしさ)。
なぜ売れないのか。なぜ作れないのか。なぜ職場が暗いのか。
山にでも籠って考えてこい。そこには親会社の目もないだろうからな。
「教養とは何か」阿部 謹也(講談社新書)
なにを言っているのか、この男は。仕事に対する知識の深化は、ビジネスとしての仕事、プロフェッショナルとして、当然のことだ。学者はもちろん、大工であれ、漁師であれ、音楽家であれ、散髪家
であれ、米屋であれ、ガラス屋であれ、ガス配管工であれ、その仕事にたいする深い教養は仕事から世界へと大きい視野を与えてくれる。
自分がこの仕事の分野に関して、研究も研鑽もせずして、かつて先輩におそわった、それも忘れかけた知識でなんとかしようとあげいたあげくが、この無知の開き直りだ。
昨年様々な所でおこったねつ造、改ざんという事件は、品質にこだわらずに、こだわる姿勢、教養もなしに、仕事をルーティンワークでしてきた連中が指示してきたあげく、おこった出来事だ。こんな人間が上にいると、仕事の手をぬくことが、ごくあたりまえになる。そんなことはたいした事でない、と。
尻に火がついてる。なのに、小手先の体面を気にした方法で、経費削減がんばってますとしか、考えられない(蛍光灯はずして、そのがんばってますの体面だけ見せてるばかばかしさ)。
なぜ売れないのか。なぜ作れないのか。なぜ職場が暗いのか。
山にでも籠って考えてこい。そこには親会社の目もないだろうからな。
「教養とは何か」阿部 謹也(講談社新書)
ユーモアと哲学 ウィトゲンシュタイン
ウィトゲンシュタインといういかにも難解そうな名前の哲学者の著書は、なかなか手にとるにはいたらなかった。が、book offで105円の値札シールのついた「世界の名著」シリーズを大量に買い込んで、ページをぱらぱらめくっているうち、結局「論理哲学論考」を読了してしまった。「語りえぬものについては、沈黙せねばならない。」で終わるこのテキストは、どこか、その著述法から当時読んでいたシオラン等のアフォリズムに近いものを感じさせたし、どこか皮肉めいたユーモアも感じた。後にこの哲学者が、カール クラウスの「炬火」の愛読者だと知ったとき、やはり、と腑に落ちた。
哲学にはユーモアが必要だ。しかつめらしく語られる「哲学」に注意せよ。ニーチェも同様にユーモアの哲学者だ。しかし、不幸なことに、しかつめらしい気違い集団に利用されてしまった。かれらのハンマーは人殺しのふるうハンマーだった。ニーチェのハンマーは医者の聴診器をあてての触診のハンマー、神経内科のハンマーだ。
ユーモアはユーモアに受け取られなければならない。不幸なことに、世の中ユーモアもくそまじめに
しか語られない連中の世の中である。思考することはニーチェのように、こう笑を必要とする。
ストレスまみれの世の中では特に。
ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」(岩波文庫)
カール・クラウス(世紀の変わり目からナチス政権確立期まで36年にわたり、ウィーンで刊行された、アンチジャーナリスチックな雑誌『炬火』を発行。徹頭徹尾、辛辣に社会の頽廃と精神の腐敗を糾弾しつづけ、まさしく一世を震撼させた。)「アフォリズム」(法政大学出版局)
池内紀「闇にひとつ炬火あり ことばの狩人カール・クラウス」(筑摩書房)
シオラン「思想の黄昏」(紀伊國屋書店)
ニーチェ全集(ちくま学芸文庫)
哲学にはユーモアが必要だ。しかつめらしく語られる「哲学」に注意せよ。ニーチェも同様にユーモアの哲学者だ。しかし、不幸なことに、しかつめらしい気違い集団に利用されてしまった。かれらのハンマーは人殺しのふるうハンマーだった。ニーチェのハンマーは医者の聴診器をあてての触診のハンマー、神経内科のハンマーだ。
ユーモアはユーモアに受け取られなければならない。不幸なことに、世の中ユーモアもくそまじめに
しか語られない連中の世の中である。思考することはニーチェのように、こう笑を必要とする。
ストレスまみれの世の中では特に。
ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」(岩波文庫)
カール・クラウス(世紀の変わり目からナチス政権確立期まで36年にわたり、ウィーンで刊行された、アンチジャーナリスチックな雑誌『炬火』を発行。徹頭徹尾、辛辣に社会の頽廃と精神の腐敗を糾弾しつづけ、まさしく一世を震撼させた。)「アフォリズム」(法政大学出版局)
池内紀「闇にひとつ炬火あり ことばの狩人カール・クラウス」(筑摩書房)
シオラン「思想の黄昏」(紀伊國屋書店)
ニーチェ全集(ちくま学芸文庫)
年頭所感 いわゆる「社会問題」について
いわゆる「社会問題」は存在しない。近代「社会」など日本には存在せず、「世間」というものが日本のコミュニケーション、共同体の本質であることは、阿部 謹也先生の晩年の仕事で看破されている、というおおげさなことでなく、体面だけ気にする人間が持ち出す「社会」人、それも結局、世間論の範囲であるが、社会という言葉に値する場をわれわれは持ち得ていないのは確かだ。
この極東の酋長さんと部族の島で社会学なぞ無用のえせ学問であり、自ら、近代人、あるいは、ポストモダンに生きているなどと錯覚している先生方のご意見なぞ聞いてはいけない。日本人が日本の政治を運営している、という無知、あるいは、故意にとぼけている評論家のバカ談義など聞いてはいけない。日本は今、3度目の敗戦、占領を(あっ明治維新なんて、別に坂本龍馬やら、志士たちによる日本立て直し、っていうもんじゃないですよ)、「金融攻撃によるバブル崩壊そして金融ビッグバン、小泉改革、郵政民営化その他諸々」という兵器でもって、被ってしまった。(わけですよね副島先生)。ということを知ったところで(知る事は必要だが)、われわれにはどうにもならんことだ。人為的な
疫病でアジア、アフリカの貧困層が一層されようが、一億総ワーキングプアになろうが、大衆層にはどうにもできない。
大文字の「社会問題」、遠いところ、イラクへ無謀に行ってみたり、環境問題(非常にうさんくさい、二酸化炭素もかわいそう)なんぞより、どうしようもない自分の日常に目をくばれ、瑣末事を大事にしろ。大きな大雑把な社会問題なぞ、当事者でない人間がどうのこうのできる訳がない。たとえ、巻き添えを食ったとしても。
「瑣末事」から考える。小さなもの、事に思考を巡らせろ。
瑣末事に自分と世界との関係を観る、自分が不幸だと感じられるなら、その由来を大問題から導くな、大問題で目をそらすな。それが「負け組」たる、われわれにとっての「社会問題」である。
そのためのブックガイド
市村弘正氏の『「名づけ」の精神史』(みすず書房)薄くて安くて内容濃い。20年前に読んだ時から今だにその考察は色あせることはない。バイブル。
全著作がおすすめ。
「小さなものの諸形態」 他、Amazonででも検索してみてください。最新作 共著「社会の崩壊」(中央公論新書)
ヴァルターベンヤミンの仕事もそういった問題意識に根付いてるのかもしれない。マルキシズムがむしろ彼のユニークな仕事に枷をはめたのかも知れないが。(って難解でよくつかめませんが、一応)
メディア(いや、ほんとはメディアに値するメディアすら・・・、このブログにしても)で活躍する評論家は所詮「評論家」であり、思想家、ものを考える人間でない。
この極東の酋長さんと部族の島で社会学なぞ無用のえせ学問であり、自ら、近代人、あるいは、ポストモダンに生きているなどと錯覚している先生方のご意見なぞ聞いてはいけない。日本人が日本の政治を運営している、という無知、あるいは、故意にとぼけている評論家のバカ談義など聞いてはいけない。日本は今、3度目の敗戦、占領を(あっ明治維新なんて、別に坂本龍馬やら、志士たちによる日本立て直し、っていうもんじゃないですよ)、「金融攻撃によるバブル崩壊そして金融ビッグバン、小泉改革、郵政民営化その他諸々」という兵器でもって、被ってしまった。(わけですよね副島先生)。ということを知ったところで(知る事は必要だが)、われわれにはどうにもならんことだ。人為的な
疫病でアジア、アフリカの貧困層が一層されようが、一億総ワーキングプアになろうが、大衆層にはどうにもできない。
大文字の「社会問題」、遠いところ、イラクへ無謀に行ってみたり、環境問題(非常にうさんくさい、二酸化炭素もかわいそう)なんぞより、どうしようもない自分の日常に目をくばれ、瑣末事を大事にしろ。大きな大雑把な社会問題なぞ、当事者でない人間がどうのこうのできる訳がない。たとえ、巻き添えを食ったとしても。
「瑣末事」から考える。小さなもの、事に思考を巡らせろ。
瑣末事に自分と世界との関係を観る、自分が不幸だと感じられるなら、その由来を大問題から導くな、大問題で目をそらすな。それが「負け組」たる、われわれにとっての「社会問題」である。
そのためのブックガイド
市村弘正氏の『「名づけ」の精神史』(みすず書房)薄くて安くて内容濃い。20年前に読んだ時から今だにその考察は色あせることはない。バイブル。
全著作がおすすめ。
「小さなものの諸形態」 他、Amazonででも検索してみてください。最新作 共著「社会の崩壊」(中央公論新書)
ヴァルターベンヤミンの仕事もそういった問題意識に根付いてるのかもしれない。マルキシズムがむしろ彼のユニークな仕事に枷をはめたのかも知れないが。(って難解でよくつかめませんが、一応)
メディア(いや、ほんとはメディアに値するメディアすら・・・、このブログにしても)で活躍する評論家は所詮「評論家」であり、思想家、ものを考える人間でない。
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